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それより僕が伝えたいことは

(執筆:前原 雄大)


麻雀が強くなるためにはまず、出来るだけ強い相手とプレッシャーのかかる場面で戦うことである。
そして、強い相手を素直にその強さを認める素直な心と、自分の弱さを見つめられる強いハートが大切である。

例えば貴方がある日負けたとする。
その負けの理由を、相手のミスや責任転嫁するのではなく、きちんと自分が弱いから負けたと思えるかどうかで、その打ち手の未来、将来は決まる。
自分の弱さを見つめられない打ち手は、その日の敗因さえ見つけられないものである。
それでは向上していかないのは当たり前の話であり、道理である。
このことはプロ、アマチュアに関係なく、言えることである。

麻雀を続けて行くと様々な人に巡り合う。巡り合いもその人の持っている運である。
以前にも記したがプロ連盟が設立される時色んな方々から入会を勧められた。
私は断り続けた。その時23歳だったが、自分の弱さをよく理解していたからだ。
簡単に記すならいわゆる、敷居が高いと思っていたからだ。

「あなたの考え、ポリシーは解るけど、今度連盟で研修生を募集するから、そこに参加してみたら・・・
新しい世界、知らない世界を経験することは無駄にはならないと思うから」

当時、敬愛してやまないプロに誘われた。
プロ連盟が設立されて、2ヶ月ほど経たある日の深夜の電話だった。
これも私の運だと今でも思っている。その方以外の誘いの言葉は、全て断ってきたからだ。

その方はいつもニコニコ微笑んでいる人で、人を叱った光景を私は見たことがなかった。
ある日、いつものように麻雀が終わり先輩たちとの麻雀談義があった。その談義が私は大好きだった。

話に加わることなく聞いているだけで、麻雀が強くなれる気がした。
「○○○のことだけどさあ」
話題の中心は○○○さんのことだった。
「前原君はいつも聞いているだけだけど君の意見も聞きたいな」
「○○○のことですか?」
〇○○は下の呼び名で愛称だった。

私を連盟に誘ってくださった方が言った。
「前原君、ちょっと表にでようか」
「はい」
店の表にでると、その先輩から口調は柔らかったがひどく叱られた。
「君は、○○○を愛称にしろ呼び捨てにした。これは間違っている。○○○に対しても失礼だし、あなたもとても損をしているんだよ」
先輩の目は真剣だった。

人を叱ることはとてもエネルギーを伴う。
叱るということは相手に愛情がなければできない。
私はそれ以来、20年ほど目上には「さん」で呼び、目下の人には「君」で呼び続けた。

今のテスト生と違い、私達の頃は一体いつ研修生からプロになれるのか解らなかった。
結局は、3年前後かかっている。

毎月研修会があるわけで、担当は森山茂和プロだった。
私達は毎月、それは山のように叱られ続けた。3年間叱られ続けたわけだが、それが今の私の麻雀の骨格になっている。
この3年間がなければ、私はタイトルをひとつも獲れなかったように思える。

当時、3年間で100名は超える受験生はいたと思う。
皆、それぞれの事情でプロを目指し、そして、それぞれの事情で辞めていった。
プロになったのは私を含め数名で、1年後には3名しか残らなかった。

「雄大、目線が落ちているぞ」
「自分の手牌が波打っているから、それじゃだめダカラ」
「腰が悪いのはわかるけど、きちんと卓に平行に身体を位置づけなきゃ。だめダカラ」
すべては、荒正義プロの叱りの言葉である。

3度目の十段戦の最中、戦っている私に人目も憚らず荒さんは私を叱った。
「背中が丸くなっているカラ!!」
普段は声の小さな荒さんの声に、会場中の人が荒さんを見つめているのを私は背中越しに感じていた。

今期の十段戦準決勝、東1局1本場。前局、

 ロン ドラ

親番の荒さんのこの牌姿に、高目で飛び込んだのが森山茂和プロ。
そして迎えた今局、私は10巡目に以下の手となる。

 ポン ツモ ドラ

ただし少しの条件がある。
上家の森山プロがをポンしており、あきらかなピンズ模様であったこと。
アガリを獲りに行くなら、ドラであるを切りだし-受けにするべきだろう。

 ポン

森山プロのホンイツは、前局の7,700放銃もあり、最低でも満貫はあると予測していた。
ドラであるがトイツ以上であることと、1シャンテンであることは感覚としてハッキリ意識していた。

方法論としては、を抑え込み受けに廻るのが本手なのかもしれない。
ただ、その場合は、荒さんの連荘は覚悟しなければならない。
なぜならば、、もも打ち出してきたのは荒さんだからである。
打ちだして来るだけの手材料は入っていたはずだからでる。

東1局とはいえこのような条件下で私が選び出した答えは、打だった。
点数的には5,200点も満貫もそれほど変わるわけではない。
受けよりも攻めを選んだのである。
攻めを選んだ以上、開局したばかりであるならば、放銃覚悟で攻め切らねばならない。
それが戦うということだからである。

戦うと決めたのは自分自身の決断であり、そこに沿って行くのが自分との闘いである。
もしくは、打とし、荒さんから攻め手が入ったなら丁寧にを落として行き、荒さんと森山さんの戦いの場にするのも至当かと考える。
荒さんと森山さんとの間で、なんらかの決着がつく、どちらかのツモアガリかも知れない。
そして、そこからまた戦いの新しい局面を迎えればいいだけのことである。
何しろトーナメント戦なのだから。

私は打を選択し、森山さんにポンされ打ちだされた牌が
明らかなテンパイ気配を森山さんが発していた。
それでも私はこちらの方にまだ、分はあると踏んでいた。

何よりも大切なのは、を打ち出した時に、心の中では「リーチ」を打っていたのでる。
次の私のツモはだった。私は目を疑ったが、である。
それでも冷静になったつもりで打。その瞬間自分の中の誰かが叫んだ。

___オマエハ何をやっているんだ?!!

次のツモが
私はを落として行った。

___オマエは誰なんだ!

数巡後、森山さんの手牌が開かれた。

 ポン ポン ツモ

「4,000・8,000!」

私はを止める打ち手を否定しているわけではない。逆に評価さえしている。
ただ、心の中でリーチを打った以上、オリてはいけない。

私は今春、鳳凰戦を迎えるにあたり、望月雅継プロのインタビューに答えている。
「放銃すべき局面ではキチンと放銃する」

私は長い競技生活の中で、リーチを打ったことを対局中後悔したことは1度もない。
対局中の後悔なぞ何の役にも立たない。忘れるのは能力だとさえ思っている。
集中力の妨げになるだけである。反省は家に帰ってからすればいいことである。

数年前、私は久しぶりに十段を獲得したが、その時の準決勝の3回戦に早いリーチを打って国士無双に放銃している。
それでも対局中後悔しなかった。自分で決めた戦い方だったからである。

私は倍満をツモられた半荘も浮きに廻り、4回戦までプラスし続けた。
しかし、それは上澄みを掬いとるような意志もなにもない戦い方だった。

石渡プロが後半3連勝を飾り、私は戦う足も残っておらず傍観するばかりだったように思う。

全対局終了した時。
「あのはヒドイなあ」
森山さんの言葉である。
「あれは前ちゃんの戦い方じゃナイカラ」
荒さんの叱りの言葉である。

遠い研修時代、森山さんに何を叱られ続けたか___それは、それぞれに戦い方はあるが、戦うべき大事な局面で逃げたらいけない。
振り返れば、そういうことだったように思えてならない。

戦うとは、一見目の前にいる相手と戦うと考える打ち手がいたら、それは間違いである。
麻雀には様々な価値観があるように様々な戦い方がある。
その中で自分が決めた戦い、自分との闘いに敗れた瞬間、負けが訪れるということだけである。


牌は人なり。

山上に山在り。

麻雀は運の芸なり。

どれも私が巡り合った素敵な人達の言葉です。
1年間駄文にお付き合い下さり、心より感謝すると共に、皆様に良き牌運が訪れますことを願って止みません。







執筆:前原 雄大

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