日本プロ麻雀連盟
プロ連2
日本プロ麻雀連盟HOME 日本プロ麻雀連盟のご案内 牌譜データサービス ロン2のご案内 タイトル戦のご案内 インフォメーション プロ雀士情報 雀力アップ
ホーム雀力アップ中級 >道標

雀力アップ

道標

(執筆:前原 雄大)


「光陰矢の如し、少年老い易く学成り難し」そう記したのは、中国の儒学者の朱氏である。
良く言ったもので、私が麻雀と巡り合ったのは10代の前半であり、連盟に入会したのが24歳、そして今は54歳である。
人生の半分以上も麻雀プロとして生きてきたわけではあるが、あっと言う間だったように思える。

その長いようで短い麻雀人生の中で、時折怖くなることがある。
それは、麻雀は起きている間中、ずっと考え続けられるということである。そう思うのは私だけだろうか。

不器用な性格なのか、気質なのかはわからないが、公式戦であれ稽古であれ、単なるオープン戦であったとしても、
その日は一日中、寝るまでその日の麻雀を反省したり、今度同じような局面が訪れたら、違う取り組み方を試みようなど、延々と考え続けてしまう。
しかも、性質の悪いことに、考え続けていることそのものが楽しいから厄介である。

今、若い頃を振り返ってみると、麻雀を勘違いしていた部分がそこら中に転がっている気がする。
学、知識を得れば麻雀が強くなるように思っていた。

かの言葉を問いた朱氏も、真実の意味における学とは、
「自らが自らに、人としての在り方」を問うことになる、としている。
単に知識を得ることを、自ら上に積み重ねてゆくことだとすれば、この場合の学は自らが内から広がっていくことを旨とする、そう結んでいる。
広がってゆくことが学としての自然な形であるならば、知れば知るほど、見えないものが増えて来ることは当然のように思える。

こう記すと難しく思われる方もいるかもしれないが、簡単に記せば、前回も記したように知識、情報を幾ら収集してもそれ程に勝負の結果、
もしくは強さを導く術にはならないのではないかということである。

もしくは知識、情報が増えるほど判断の基準が増えて処理しきれなくなる可能性がある。また、こうも考える。
これは麻雀以外にも当てはまると考えるのだが、結果を求めることも非常に大切なことではあるが、
あまりにもこだわり過ぎると、どこかで伸びが止まるように思える。

例えば大きな勝負の時には、人としての心理として得意の形に持っていきたがる、あるいは安全にいきたいとも思う。
しかし、毎回、毎回それを繰り返していると、やはり何処かで行き詰まり、結果、進歩が止まるように思える。
大切なのは情報を消化する能力であり、活かす知恵に昇華させなければ意味がないように思える。

私はここ数年、様々なタイトル戦の決勝に臨むに当たり、必ず新しい試みたことのないテーマを探し、そこに沿って稽古に励む。
新しいテーマにのぞむのはリスクが大きい。
私自身対局中、今回のテーマは私には難しいかな、似合わないかなとか思いながら闘っていることもある。

うまく行くことは多分半分もない、失敗の可能性の方が高いとも思う。
ただ、だからと言って今までやったことのないこと、不得手にしていることをやらないとなると自分の世界観が狭くなり、
戦いのフォームが固まってしまうように思えてならない。

自分自身を守りたいとか、大事にしたいという気持ちも大切だと思う。
それはフォームの確立ということを大切だという意味であるが、一方で、自分のフォームにあまりこだわり続けるのも進化の危険性は存在するように思う。

麻雀プロを生涯、続けていく以上、幾つになろうとも「学ぶ」という姿勢に時期は変わりないはずである。


図は、第26期十段戦決勝最終戦からのものである。


吉田幸雄プロの、声高なリーチの発声の響きは今でも鮮明に覚えている。
現状ではトータルラスである。

吉田とは長い付き合いで、純粋で冒頓(ボクトツ)な人柄には誰もが魅かれる。
彼の声高の意味は、「ぼくの手は高いですよ。向かって来る人はそれなりの覚悟を持ってきてください」
そういうメッセージと受け止めたのは私だけではないだろう。

私のポジションは、トータルトップで、尚且つこの半荘も微差ながらのトップ目である。
目先の損得を考えたなら、打が至当だろう。なぜそうしなかったのか。

ひとつには、このシリーズのテーマの1つとして「勝負処では逃げない」ということもある。

対局中には、常に冷静な判断と決断を求められる。
様々な経験を積み重ねて行くと、色々な角度から判断できるようになる。

麻雀は同じ配牌とツモは来ないと言われるが、同じ累計の過程と局面はあると考える。
以前経験したこと、いわゆる経験値、経験則で人は動く。

麻雀に置いて、私の根源的部分で変わっていないのは、次局、次次局を想定して判断し、その1局の最善手を決断し打ち続けることである。
例えば今局の状況、状態で言えば、仮にが通ったとした時、何処まで行ってもヤミテンに構える。
ツモ、ツモと何手か先を読んでもそうする。

この姿形になってもヤミテンで押す。
アガリ切ったら、次局は面前ならばどういう形でもリーチを打つつもりだった。

話が少し逸れたので戻すと、今局で一番大切な打の判断の基準は、ここで押して、アガリ、放銃のどちらの結果でも、
次局以降、悪い結果は待ち受けていないだろうと決断を下したのである。
言葉を換えるならば、ここでオリてしまいアガリ損なうと次局以降、手が入らない、いわゆる手が死んでしまうと判断したからである。


次局も同じ発想法である。
局面だけみれば、打としての受けのほうが明らかに優っている。
もしくは、ヤミテンのカン受けも悪くはない。

それでもそうせずリーチを打って出たのは、前局の放銃の意味がなくなってしまうからである。
十段位というゴールを目指して、そこから逆算して今局の最善手を求めたということに他ならない。
この結果を、たまたま偶然の産物と捉えるかどうかはこの欄を読んだ方次第である。

ただ言えるのは、リーチを打たなかったならばどういう結果が出たかは、上家の板川プロの手牌も考えると微妙に思える。

鳳凰位にしろ、十段位にしても私にとっては聖域であることは何ら変わってはいないが、それもひとつの局面に過ぎない。
道標と言ってもいいかも知れない。

生涯麻雀プロである以上、いかに打ち続けて行けるか、いかに生きて行けるか、そのあたりがゴールなのかも知れない


 





執筆:前原 雄大

ページトップ
麻雀格闘倶楽部 好評稼働中!
GyaOバナー白
近代麻雀2
モンド21麻雀プロリーグ
麻雀格闘部呂倶
日本プロ麻雀連盟メールマガジン
トップページ牌画の利用について引用・リンクについて広告についてよくあるご質問お問い合わせサイトマップ
日本プロ麻雀連盟
Copyright 1997-2010 Japan Professional Mahjong League. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.
ma-jan.or.jpの記事・写真等の無断転載はお断りします。