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流れを変える

 


先日、タイガー・ウッズがツアー通算70勝めを挙げたアメリカプロゴルフ・ツアー、「WGCブリヂストン招待大会」の模様がオンエアされていた。

普段、ゴルフ中継は「ついていればなんとなく眺める」程度の私だが、この試合は本当に「目が釘付け」となる好勝負だったと同時に、別の意味で非常に印象的な放送だった。
2時間ほどの内容のなかで、アナウンサー・解説の人間が実に20回以上も「流れ」という言葉を口にしていたのだ。 

確かに「(勝負の)流れ」というフレーズがしっくりする場面の連続であったし、また他の言葉に置き換えると臨場感が薄れてしまうような気がした。
ありていにいうと「最もふさわしい言葉」だったのだ。

昨年メジャー4大タイトルのうち全英オープンと全米プロゴルフ選手権を連勝したパドレイグ・ハリントンがトータル首位に立ち、最終日を3打差2位のポジションからスタートしたゴルフ界のスーパースター・ウッズが喰らいつく。

ハリントンはアイルランド出身の37歳。昨年の活躍で一躍トッププロと称されるようになったが、苦労人・努力家的なエピソードが多く「クールで落ち着いた頭脳プレー型の職人」である。
ウッズは34歳。皆さんよくご存知のようにアメリカ名門プリンストン大学を中退しプロの世界に入りいきなりスターの座を確立、数々の栄冠を手にし、いまやゴルフのゴの字も知らない人でも確実に名前を知っているような存在になった。
※ ゴルフの試合は、成績上位から2名ずつペアになってラウンドする。
(つまり、首位ハリントンと2位ウッズは最終組ペアとして互いのプレーをつぶさに眺めることとなる)

ウッズはいきなり2番(各日18ホールをラウンドする)でイーグルを決めると、前半でさらに3バーディーの猛チャージをかけて伸び悩むハリントンを逆転。
(※イーグル=ホールごとに定められた規定数より2打少なく終えること。例えばパー5のホールだと3打でカップにボールを沈めるとイーグル。バーディー=規定数より1打少なく終えること)

ハリントンは、自らの気持ちを落ち着かせるかのように大きな間合いを取ったスタンスで、着実にパー(規定数でプレーすること)を重ねていくものの、急激にスコアを縮めるウッズを厳しい表情で眺めるだけの状態。

ここでアナウンサーは「タイガー・ウッズに完全に流れが向いています」と連呼。
アナ「流れを失ったハリントンはどうなりますかねぇ」解説「まずはこの流れを断ち切るようなきっかけが欲しい所」とコメント。
この時点でのウッズのプレーが「ただ、スコアを縮めるだけではなく、あえて難易度の高いポイントにボールを落とすことにより、心理的にハリントンへのプレッシャーを与えているように思う」と語っていた。

このままの流れで行ってしまうのかと思いきや、11番でハリントンがセカンドショットを好位置に決め、バーディーを奪い並びかける。
ウッズは続く13番14番でボギー(規定数より1打オーバーすること)を叩き、依然パープレーを続けるハリントンに逆転を許してしまう。

このボギーも解説者によると「ハリントンへのプレッシャーをかけ続けるプレーが同ホールにおいては裏目に出たもの」で、ウッズの技術力・精神力ならばもっと着実なパープレーへの道筋はつけられたのではとのこと。

アナウンサーが「流れが変わった」ことを指摘すると、解説者も「本当にどう転ぶかわからない。アグレッシブに流れを変えていこうとするウッズと、昨日までの好調さを守り抜こうとするハリントンの意地の張り合い」とコメントし、まさに手に汗握る状況となった。



・・・突然麻雀の話になるが、ウッズの「流れを掴もうとする行動」と、麻雀プロの「流れを掴もうとする行動」は同一なのだろうか。

以前、若手麻雀プロを中心に「流れはあるか、ないか」という論議が盛んだった時期がある。
私はその問いにいつもこう答えていた。
「勝敗に流れはあるけど、それは人為的に変えられるもんじゃない気がする」と。

現在は、若干考えが変わっている。
(対戦相手の)「意識」を変えようとしたアプローチというものは、意外と勝敗の転換に繋がることがあると私は思っていて、その行動を持って「流れを変えた」とするならば、それは決して心の錯覚ではないのだろうと。

ただ、その行動を揺るぎ無い自信・確信に基づき行えるような高い技術力・強い精神力は、常人ではなかなかに持ち得ないものだとも思うのだ。
それこそタイガー・ウッズのような強烈なプライドと裏打ちされた実績が心の中で蓄積され、初めて自信に変わるのではないのかなと。
麻雀プロで言えば「亜空間は誰にでもできる。だけど亜空間は俺にしかできない」という言葉に、私は強烈な自負を感じたのだ。




先述の試合は唐突にクライマックスを迎えた。

16番ホール、麻雀で言えばラス前の場面。
おそらくは自己を保つ為に神経を整えていたからであろう、ややゆったりめのスタンスで打ってきたハリントンに対し、大会主催側より「プレー時間の遅延」警告が発せられた。
その状況下で放った第一打は無常にも池の中へ。

ウッズも同じように第一打はフェアウェーを外したもののリカバリーショットに成功し、このホールでの明暗がそのまま勝敗に繋がったのだ。

こうなってしまうともはやハリントンの逆転の目は限りなく薄くなってしまったといえよう。
18番・最終ホール。「ゴルフは紳士のスポーツ」という格言の代名詞のようなハリントンが、第一打をギャラリーに打ち込んでしまった後、なんと居並ぶギャラリーに向かってゴルフクラブを大きく左右に振って「どけ!」といわんばかりの仕草をしてしまう。

ウッズが与えてきたプレッシャーが、強靭なはずのハリントンの自制心をここまでに変えてしまった、衝撃的な場面であった。

ここでひとつ。ウッズは「流れ」を自分のものにしようとしてピンをデッドに攻め続けていたのだろうか。
私が思うに「いきなり自分の方に流れを呼び、モノにする」という事ではなく、明らかにハリントン・ペースだった展開をフラットに戻す、いわば「来るか来ないかわからない相手のミス」を誘発させる、その為に相手の心を揺さぶらせようとしていたのではないだろうか。

もちろんそれは奇手を連発する事ではない。
常人には可能性が低い・難易度の高い選択肢を選び続け、成功し続けることで彼我の差をライバルに少しずつ少しずつ植えつけていったのだろう。
もしそうだとすれば、なんという傲慢さよ・・・。
なんという志の高さよ・・・。

このような「流れ」の操縦方法というものは決してオカルトチックな話ではなく、充分に論理的に語ることのできるものではないか、と私は思う。

そのためには卓越した技術力・精神力・そしてそれを支える体力の全てが備わっていなければならない。
現在の麻雀競技の世界においてそのようなプレーヤーがどれほど存在しているのか。
私見では数人だろうと思う。
しかし現時点でも確実に存在していると私は自信を持って断言できる。
逆にいうとこの数人が最低数十人には増えていき、かつそのプレーの様が解説されていく土壌が生まれていかないと先人の夢・私達の未来・将来同じ道を歩む者たちの希望が花開くことには繋がっていかないように思うのだ。

ポジティブに考えるならば、我々の目指す先には可能性がある。
ただし可能性は待っているだけではなかなか思い通りにはならない。
ウッズのように常に意識し、その為の具体的な行動に出ることで初めて確率が高まるものだと思う。
もちろん行動に出て逆に下がることだってある。
その行動に対する精度を上げるためにこそ、「プロ」はあらゆる能力を高めていかなくてはならないのだろう。
結構、そのヒントは様々な世界における「スーパースター」の実践例に隠されているように思えてならない。



もう一つだけ、プロスポーツ界の例を挙げておこう。

ボクシング界における空前絶後のスーパースター、モハメド・アリ。
そのアリをして「史上最高のベストバウト」と言わしめたのが、1974年10月アフリカのザイール(現コンゴ)の首都キンシャサで行われたジョージ・フォアマンとのタイトルマッチである。
当時29歳、40戦全勝を誇るチャンピオン、フォアマン。
以前チャンピオンだったもののベトナム戦争の徴兵を忌避して王座を剥奪され、再びその座を狙う所までようやく辿り着いた32歳のアリ。
知名度においては圧倒的なアリではあったが、ブックメーカーによる評価は3:1でフォアマン有利。
アリはそのクレバーな頭脳で対戦相手の取るあらゆる可能性を想定し対策を考えて臨むという、それまでのボクサーの持つイメージ(「無為無策に殴り合い、ダウンを奪えれば勝ち」というような)を根底から変えた選手である。

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」、その華麗な所作と、無駄のない合理的なスタイルでフォアマンはもちろん、後続のボクサー全てに影響を与えていた。
つまり、あらゆる意味で研究し尽されていたともいえよう。

そのアリが、豪打で鳴らすフォアマンにどう臨んだか。
なんと、ロープを背にしてフォアマンの強打をボディに浴び続けたのだ。
通常ボクサーは、逃げ場を失うことを避けるために中央に位置し、足を使い防御に努める。まさに蝶のように舞いながら。
その常識をアリは放棄したのだ。そしてチャンピオンの連打を浴びながら、その耳元でこう囁く。
「お前のパンチは女みたいだ」「そんなパンチじゃポップコーンも潰せやしない」などと。

皆さんもよく判ると思うが、長距離走をしながら傍らの人に話し続けたらどうなるか。
おそらく数キロも走らないうちにバテバテになることだろう。
まさにスタミナに優れたアリだからこそできる戦法といえよう。

フォアマンは相手が1ラウンド(3分)以内にノックアウトされてしまう為、「ミスター・ワンラウンド」と称された、屈指のハードパンチャーである。
そのはずが・・・アリは数ラウンドも豪打を浴び続けながら、倒れずに挑発を繰り返すのだ。
「俺のパンチは本当に効いていないのか!?」・・・疑心難儀に陥ったフォアマンの隙を逃さず、8ラウンド目に訪れたワンチャンスに右ストレートを放ったアリが鮮やかなノックアウトを奪い、悲願の王座奪回に成功した。

なぜ、アリはフォアマンの連打を浴びて倒れなかったのか。
からくりは簡単で、ロープを背にすることでその衝撃を綱が受け止めてくれていたからだった。
そしてその反動で元の位置に戻るや「なんだそのパンチは」などと囁くのだ。
そんな戦法は当時誰も思いつかなかった。
ましてやクレバーで通り、華麗なそのフォームで売っていたアリがそんな事を大一番でするとはフォアマンのみならず誰も想像しえなかっただろう。

その後アリは十度の防衛を果たすも、そのような奇策は行わずに以前のような王道スタイルを貫き引退する。
しかし彼にとっての最高の試合は、まさにこのフォアマン戦なのだという。

「キンシャサの奇跡」といわれるこの試合。
私がなぜこの話を紹介したかというと、「奇策」は破れかぶれで行うべきものではない、と思うからなのだ。

つまり事前に入念なシュミレーションを行うアリが、生涯最大のチャンスを確実にものにする為にあらゆる可能性を洗い出し検証した結果、辿り着いたのがこの「奇策」だったわけである。


麻雀でいえば運まかせ・出たとこ勝負でポン・チーしたり、奇手のリーチを放つ行為が偶発的に成功したとしても、それはアリのような「プロ」が「流れ」を変えるためにシュミレーションを重ねた結果に選択し実行したそれとは似て非なるものである、そう私は思いたい。

一見すればそれは同じ様にみえるだろう。
それが偶然ではなく、必然(と自分が考え選択した)であると確信しているならば、その思想は対局全体を通じて姿勢として現れるはずであり、まただからこそ「プロ」はそう有らねばならないのではと私は考えるのだ。
それがあらゆる競技における「プロ」の資質ではないだろうか。

やけに抽象的な物言いになってしまったが、要は「ただ、王道だけを目指してもここ一番で確実に勝てるわけではない。あらゆる選択肢を見つけ、その可能性が最も高い(と自分で確信できる)ものを見出したら、自信を持ってその選択を実行し、勝利に結びつける。その為に(思考・行動の)楽をしないこと。そして日頃から自分を常に信じきれる為の努力を惜しまない」ことがプロの必要条件だと、この2つの事例は教えてくれている。

果たして我々はその教えに沿った行動をしているのだろうか。
それを意識しているだろうか。
意識さえしていれば、貴方は一歩前を踏み出せるだろう。
そこに成功という名の可能性は必ず存在しているのだから。

※ もちろん前回講座でも述べたように、「口撃」は今の麻雀競技の場においては許されざる行為であり(「対局中の私語禁止」)、それを奨励する文意ではない事を充分ご了承願いたい。
 
最後に、アリの言葉で締めくくろう。
私の好きな言葉で、対局前には必ず読み返すものだ。


『不可能とは、自らの力で世界を切り拓くことを放棄した臆病者の言葉だ。
不可能とは、現状に甘んじるための言い訳に過ぎない。
不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。
不可能とは、誰かに決めつけられることではない。
不可能とは、通過点だ。
不可能とは、可能性だ。
不可能なんて、ありえない。』
-モハメド・アリ-

 






執筆:今里 之彦

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