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プロ雀士コラム

まずはじめに、お断りしておかねばならぬ事がある。
このリレーエッセィは、ある者があるものを書き、それを名指しである者に送る。
送られたある者は、一ヶ月以内にやっぱりあるものを書き、それをある者に送る。
これ、いわば幸福の手紙の麻雀版である。
もちろん、送られた方は幸福どころか不幸の矢を射られたようでたまったものではない。
しかし、こんな読み物が麻雀ファンや仲間の見る楽しみとなれば幸いである。

(ホームページ編集部)

 


第43回:紺野 真太郎



タイショウ

もうこの企画も43回目ですか・・・いつかは回ってくるかなとは思っていたけど結構早かったかな。
と、いうわけで、さくらやよいプロよりバトンを受け取った紺野真太郎です。

HPやロン2には色々書かせていただいておりますが、この世界に入るまでは文章なんか書いたことがありませんでした。
でも、今は書くことが楽しいです。
依頼を受けるとまずはネタ探しから入り、ネタが見つかると、どういう風に書こうかと考えます。
下手ながらたまにする料理に似ている気がします。
これが一流の料理人なら一流の素材を一流の技術で一流の料理に仕上げるのでしょうが、まだまだ私は勉強中の身。なかなか会心のものは書ききれません。
それでも「好きこそ物の上手なれ」と言いますし、これからも続けて行きたいと思っています。


そんな中で見つけたネタは・・・

1992年、私は静岡から上京してきた。別に静岡に不満があった分けでは無い。ただ、東京への憧れが強かった。
今はどうか判らないが、当時、東京に住む地方出身者は、静岡県が1番多かったと聞く。
都会とも田舎とも言えない静岡県ならではの県民性なのだろうか。

当時の私には、東京に行く金もコネも理由も無かった。ただ憧れていただけだから。でも行きたい。だから仕事を探した。
衣食住があって、ついでに上京の費用も出してくれるような都合の良いものを。

そこで目についたのが、新聞奨学生募集というもの。
これは新聞販売店の業務をこなしながら学校に通い、無事卒業すれば、それまでに立て替えてもらった学費が免除になるというもの。
私が知っている限りでは、連盟の後輩である小川尚哉もこの制度を利用して、大学を卒業したと聞いている。

「これならいけるかも・・・」私は学生ではなかったが、問い合わせてみたところ、1度面接に来てくださいと言われ、言われるがままに東京まで来た。
奨学生で無くてもアルバイトで良いということだったので、直ぐに「お願いします」と返事をしたのを覚えている。

実際に東京に来て働き始めると、同じ販売店に奨学生として働いていた同い年の「タイショウ」と仲良くなった。
もちろん「タイショウ」とはあだ名で、なんかのはずみで「よ、大将」と呼んだ時になにか収まりが良く、それ以降もそう呼ぶようになっていた。

タイショウは山形県出身で、私と同じくギャンブル好きで話しも合った。
夕刊を配り終えるとよく一緒に遊びに出掛けた。配達用のジャージでカブに乗って。
どこか垢抜けない2人だったが、それが結構心地よかったりもした。

ある日、ゲーセンやパチンコ屋で遊び終えた後、1件の雀荘が目に入った。麻雀雑誌などでよく広告を見る大手チェーン店であった。
私にとって、当時の雀荘は暗く怖いイメージがあったが、大手なら大丈夫だろうと「入ってみようぜ」とタイショウを誘った。
断られるかとも思ったが、案外あっさり「うん、いいよ」と答えた。
ビビっていたのは私だけだったのかもしれないが、この時タイショウが口癖の「どっしよっかなぁ」と答えていたら、今の私は存在していなかったと思う。

中に入ると3、4卓立っていて、従業員と親しげに話す常連風のオヤジが待っていた。
「(2人)ご一緒でよろしいでしょうか?」と聞かれ、
こっちは緊張と怖さでむしろ別々にされてたまるかと思ったが(まだフリー特有のルールやマナーみたいなものをよく知らなかった)
「はい」と悟られないよう答えた。

メンバーが1人入ってゲーム開始。
下手なりに2人とも健闘していたが、ある時、常連風オヤジが流局の時にニヤリとしながら、

 ポン

こんな手を開いて見せられ、心を折られた。
タイショウはまだやりたそうだったが、私が「やめようぜ」と半荘2回で席を立った。

最後は怖さが顔を出てしまい逃げ出したが、麻雀の魅力に取り付かれたのもこの時であった。
別の同い年の同僚にこのことを話すと「それなら学生向きの店があるよ」と聞き、次の日には3人で向かっていた。もちろん、3人でカブに乗って・・

その店は同年代の若者ばかりで、雰囲気も明るく楽しかった。本当にあっという間に朝刊を配る時間になっていた。
その日が休みだったタイショウを残して帰って朝刊を配ったが、配り終えると朝食も食べずに店に戻った。
タイショウは半分寝ながらまだ打っていた。そして私も半分寝ながら一緒に打った。

つくづく「若さ」というものは特権だと思う。
本当にこの頃は寝る間を惜しんで打っていた。しかもよく負けていた。3回やったら2回はラスでその内1回はトビといった感じだった。
麻雀と配達で、最高80時間ほど寝なかったこともある。
この時は朝刊を配る時に象が列をなして横断歩道を渡っているのが見えたので、さすがに寝た。

こんな生活が1年くらい続いたのだろうか。どんどんのめり込んで行く私。
しかし、タイショウは学生であった為、麻雀とはある程度距離を置かなければならなかった。
やはり若かったからだと思うが、1年もこんな生活を続けていると、麻雀は負けなくなっていた。
そして負けなくなると、もっと強くなりたいと思うし、この世界で生きたいとも思うようになっていった。

さらに半年ほど経った頃だろうか、貯金が3桁に届こうかとなった時、私はこの世界で生きていこうと決めた。
今、この世界で生きていこうと思っているのとは質が違うものだが、当時は真剣に考えた末の結論だった。
自分で新しい部屋を借り、1年半お世話になった販売店を辞める時が来た。最後の配達を終え、私はタイショウの部屋を訪ねた。

「俺、辞めることにしたよ」

「辞めてどうするの」

「メンバーやろうと思って」

「そう・・いいなあ・・」

最後にタイショウが「いいなあ」とつぶやいたのが印象的であった。
学業と業務に追われ、忙しい日々を過ごしていたタイショウにとって、若さゆえの行動で、好きな道に進むことに決めた私が羨ましく思えたのだろう。
それだけ、彼もまた麻雀を愛していたということだろう。

別々の道を進みだしたタイショウとはそれ以降、思い出して気にすることはあっても、会うことは無かった。
数年後、私は人から前原雄大さんを紹介され、当時連載していた前原さんの書くコラムに魅了され、この連盟を受験することに決め、今に至っている。

そして、タイショウとは思いがけない場で再会することとなる。

ある年の正月、私はロン2にゲストとして参戦していた。
その日は調子が良く、国士無双などをアガリ、上機嫌でプレイしていると、同卓していたユーザーからチャットで話しかけられた。

「お久しぶりです。昔一緒に働いていた○○です」

「!!・・・タイショウじゃないか・・・まだ麻雀やってたんだな・・」

人はこういう時に走馬灯のように過去の記憶が蘇るというが、この時の私もまさにそんな感じであった。

ただ、この時の立場では他のユーザーの方も同卓していた為「お久しぶりです」と他人行儀な挨拶しか出来なかったが、
PCの前では懐かしさや再開できた嬉しさで胸が一杯になり、目は潤んでいた。

本当は「タイショウ、今は何やってんだよー」と昔みたいに話したかった。
でも、ネット上とはいえ再開出来たのだから、いつかまた直接出会える時もくるだろう。
その時はまた、当時のように「タイショウ」と親愛の情を込めて呼びたいと思う。

さて、次のバトンですが、誰にしましょうか。
暑苦しい奴のあとなので女性ファンの為にもイケメンにしましょうかね。

と、いうわけで、ウッチーこと内川幸太郎プロよろしくお願いします。

 






執筆:紺野 真太郎

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