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プロ雀士コラム

まずはじめに、お断りしておかねばならぬ事がある。
このリレーエッセィは、ある者があるものを書き、それを名指しである者に送る。
送られたある者は、一ヶ月以内にやっぱりあるものを書き、それをある者に送る。
これ、いわば幸福の手紙の麻雀版である。
もちろん、送られた方は幸福どころか不幸の矢を射られたようでたまったものではない。
しかし、こんな読み物が麻雀ファンや仲間の見る楽しみとなれば幸いである。

(ホームページ編集部)

 


第36回:佐々木 寿人


ついにバトンが回ってきたか。
36番手とは随分と年月がかかったものだ。
でも、まいっか。
最近ホームページの頭のほうに、自分の名前見たことなんてなかったし、なんてったって新年一発目のリレーエッセィだかんね。
南里さんありがとよ。
気分よく書かせてもらいます。


私が故郷の仙台から東京へ拠点を移してもう11年になる。
そのスタート地点になったのが、新宿歌舞伎町にあったとある麻雀店だった。
南里プロと出会ったのもこの場所だった。
彼女は、この店でウェイトレスとして働いていたのだ。

迷彩色のショルダーバッグだけをぶら下げこの地にたどり着いた私は、今で言うところの派遣メンバーとしてこの麻雀店に勤めることになった。
だが、心の中は期待感など一切なく、不安でいっぱいだった。
慣れない環境のこともあるだろうが、ふわふわして地に足が着かない感覚が何日経っても消えなかった。

それでもなんとか精神の均衡を保つことができたのは、“勝って”いられたからだろう。
負けた記憶がないほどに、とはさすがに言わないが、誰の目から見ても明らかに私は勝っていた。
しかし、当の本人はと言うと、なんで勝てているのかがよくわからない。
ただ、至ってシンプルに麻雀を打って、その遣り口が合っていたからということなのだろうが、あの浅い麻雀でよく勝てたものだと今は思う。
 
そんな生活にもだいぶ染まってきたある日、一人の若者と同卓する機会があった。

「あの人麻雀のプロなんだって。」
「へー。」

若かりし滝沢和典をはじめ、若手のプロと呼ばれる人間たちとも何度となく対戦してきたが、ここに関してはきっぱりと負けた記憶がないと言い切れる。
そちらは競技のプロ、こちらはこの東風戦でのプロ、となればやはりこちらが勝って当然なのである。
その若者が言った、今でも忘れられない言葉がある。

「今の局、見逃した?」

誰かの打牌に見逃しをかけたか、という意味であるが、正直私は耳を疑った。
(プロというヤツも、随分とピントのずれたことを言うんだな。)
当時私は、東風戦は終わりのない1局戦という認識を持っていて、見逃しなどという行為で、その次の1局を歪めてしまうことを極端に嫌っていた。
もちろん、必要に応じて見逃しをかけることはあったが、少なくともこの局面ではその選択がマッチしているとは思えなかった。
(そんな余計なことにまで気を回していたら、勝てるわけないよな。)

その点こちらはお気楽である。
誰に語る必要のない、自分だけの定理を大切に打ってさえいれば、自然と勝利を手繰り寄せることができたのだから。

物事は、深く掘り下げ、考え抜けばいいというものではない。
これは昔も今も変わらない想いである。
つまり、核となる部分から、ただ幾重にも引き出しが枝分かれしていればいいというものではないということだ。
必要以上の知識は、いつか必ず行く手を阻む。
もし、2、3の武器で打ち勝てるならそれに越したことはないのである。

麻雀の基礎というものについて考え始めたのは、それから4年が過ぎた頃だった。

私は東風戦から距離を置き、三人麻雀を積極的に打つようになっていた。
三人麻雀は、一度の失敗がストレートに結果に現れることが多く、1局の重みを知るという意味では格好の練習台だった。

 ツモ

たとえばこんな手牌になったとしよう。
4人麻雀ならほとんどを打ってリーチと構えるが、三人麻雀ならを打ってヤミテンに構えるケースが多くなる。
アガった者が親権を取ることができるルールなら、打点よりまずは確実性ということになり、引きでの、

引きでの、

あるいは、を引いた、

こういう手牌変化を想定して打つことが、オーソドックスな構えとなるのだ。
高く、強くということばかり意識していても、やはり麻雀は勝ち切れるものではない。
臨機応変に、という意識が芽生えたのがちょうどこの時期だった。

それと時期を同じくした、2005年の秋口、私は有楽町へと足を運んだ。
1つはプロリーグ見学のため、もう1つは連盟入りを決断したことを森山茂和プロに伝えるためだ。
仲介役は前原雄大プロが引き受けて下さった。

「ようやく決断しました。来年からよろしくお願いします。」
「そうか。でもこんな雀ゴロみたいなヤツが入ってくるの久しぶりだよな。頑張って。」

こう言われ、身が引き締まる想いをしたのを今でもよく覚えている。
しかし、物事は思うようにはいかないものである。 
今期のふがいないリーグ戦を含め、なかなか2人の先輩の期待に応えられないでいる。

ただ、それでも少しは恩返しできたかなと思うのが、第9回モンド21杯での優勝である。
私はまだ、Dリーグに所属していた頃からテレビ対局に出させて頂いていて、その分、使命、責任といった感情は誰より強かった。
その場に出られない人たちのために、という思いは毛頭ないが、やはりこういう舞台に立つ以上は、それなりの心の準備が必要不可欠である。

だが、第8回大会では決勝にこそ残ったものの、その気合が空回りして惨敗を喫してしまう。
それゆえ、私にとっての第9回大会は、復讐戦という意味合いも多分に含んでいたのだった。
 
 ドラ

手牌はその決勝第2戦、南3局東家でのものである。
決勝は2戦で争うため、これが最終戦ということになっていた。
私が優勝するには、第1戦でトップを取った藤崎智プロに、20,100点差をつけたワンツーか、
藤崎プロを3着以下に沈めたトップという条件がついていた。

私は、ここまで17,400で3着というポジションに甘んじていたのだが、幸いなことに2つの好条件が私を味方していてくれた。
1つは、第1戦でラスを引いた、協会の石野豊プロがトップ目に立っていてくれたこと、そしてもう1つが、私の上家が藤崎プロだったことである。

ここで、ここまでの得点状況を記しておくと、石野45,600(▲45,2)、藤崎22,300(+57,8)、佐々木17,400(+7,8)、滝沢14,700(▲20,4)
という並びになっていた。

この配列が何を意味するかというと、親番のない藤崎プロは、決してトップを取りにはこないということ。
それに基づいて、私がトップを捲れば、ほぼ必然的に藤崎プロが3着以下に落っこちるということである。
これが1つ目の理由。

そして2つ目は、この手牌にも関係してくることになる。
藤崎プロの最大の敵は、この局親を迎えた私である。
この親さえ落としてしまえば、ほとんど藤崎プロの優勝が確定すると言っても過言ではない。
それは見ている人はもちろんのこと、実際に打っている当人たちにも一致した見解だった。

「藤崎さんは絶対に捌きに来る。」

では、それをさせないためにどうするか、それが今局の最大のテーマになっていた。
だがもはや、しのごの言っている段階ではなかった。

とにかく先手を打って、上家に座る藤崎プロを殺す、ただそれだけだった。  
吉と出るも凶と出るも、まずやってみないことには何も始まらないのだ。

 ポン ツモ ドラ

この4,000オールが契機となり、私は流局を挟んだ2本場での捲りに結びつけることができたのである。

 ポン ポン ツモ

優勝までの道のりは本当に遠かった。
だが、結論の出し方さえ間違わなければ、どうにかなるものなんだということが証明できた瞬間でもあったのである。

プロ連盟に入って今年で5年。
信念のみの麻雀でここまできた。
勝ちたいという気持ちばかりが先走りしているのか、決して思惑通りにはいかない。
ただ、どこに向かうにせよ、目的意識だけは失わずに生きていきたいものである。


さぁ次回は誰に渡そうかな。世界に目を向けて、スペインあたりまで飛ばしちゃいますか。
いるわけないね。

じゃあ連盟内では1、2を争うくらい英語がうまいガースにします。
ガースよ、愚形リーチにも色々バリエーションがあるのだぞ。その時によって意味合いが違うのです。
ではよろしくね。






執筆:佐々木 寿人

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