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プロ雀士コラム

まずはじめに、お断りしておかねばならぬ事がある。
このリレーエッセィは、ある者があるものを書き、それを名指しである者に送る。
送られたある者は、一ヶ月以内にやっぱりあるものを書き、それをある者に送る。
これ、いわば幸福の手紙の麻雀版である。
もちろん、送られた方は幸福どころか不幸の矢を射られたようでたまったものではない。
しかし、こんな読み物が麻雀ファンや仲間の見る楽しみとなれば幸いである。

(ホームページ編集部)

 


第11回:山井 弘



第12期チャンピオンズリーグの決勝で共に敗れてしまった松崎プロからのリレーという事で、あまり自慢のできる話は書けませんが、謹んでお受けしたいと思います。

まずは、そのチャンピオンズリーグの話から。


私は予選リーグで140Pのトータル3位という好成績を残し、ベスト16への切符を手にしていた。

このタイトル戦でここまで勝ち進んだのは5期、11期(5期はベスト16、11期はベスト8敗退)に続いて3度目。
前の2回はいずれもギリギリの通過だったのに対し、今回は余裕の通過で、何故かこの後の本戦に期待が持てた。


ベスト16では新人王を獲得し絶好調の仲田、チャンピオンでは常に好成績の新海、情報が少ない新人の岩崎との対戦となった。
私は何度か仲田と対戦した事があったのだが、その時のイメージでは仕掛けも多く、「攻めて攻めて攻めまくる」といった印象を持っていた。

開始早々、やはり仲田がと鳴いて主導権を取りに仕掛けてくる。

その時私の手は勝負手ではなかったが、私はをズバッと切った!

以前の私であったら、この發を抱えてベタオリになってしまい、仲田に主導権を取られていたと思うが、今の私は相手の捨牌や手出しツモ切りから読みを入れて、ギリギリまで攻めるようになっていた。

その時は、まずが一枚切られており、その後に仲田に手出しが無いことに着目した。
ポンと言われることはまず無く、可能性があるとすれば小三元の単騎待ちに当たるくらいだろう。

そして何より私は仲田に対し、仕掛けられても簡単にはオリないという姿勢を見せたかったのである。

その局の効果があったのかどうかは分からないが、その後は場が重くメンゼンで進む局が多くなったように感じ、そうなると守備型である私のペースとなった。

1回戦は2着、2回戦はトップと3回戦を前にほぼ通過を決めたのだが、それで集中力が切れてしまったか、次の3回戦ではラスを引いてしまう。

なんとか通過はしたものの、すぐ後に控えているベスト8での戦いに不安を感じた私は、前日若手プロ3人(吉田直、加藤博己、岡田茂)に付き合ってもらった調整を思い出していた。
その時も同じ展開となり後半戦はボロボロになったのを記憶していた私は、すぐに会場を離れ、ベスト8が始まるまで集中力をもう一度高める作業に入った。


そして戦いの場へと戻った私は、ベスト8の1回戦で四暗刻を和了り、残る2半荘を守りきり、今年2月に行われた發王戦(この時は準優勝)に続き、プロ10年目にして2度目の決勝進出を果たした。


この時ばかりは、前日にした調整の賜物であると、若手三人に感謝の気持ちでいっぱいだった。

そしてその三人の為にも優勝したかったのだが・・・・

結果は、私と同期でもある室伏の圧勝劇で終わった。

本戦開始前に決勝で会おうと誓った松崎との約束は果たしたものの、共に敗れ、私は4位と残念な結果に終わってしまった。







こうして私の初タイトルはまたもお預けとなってしまったのだが、そんな私が麻雀プロになったきっかけや、プロになってからのお話を少し。

当時私は26才、都会に憧れる素朴な青年であった。

何か物足りなさと、将来の不安を抱えながら日々を送っていたそんなある日、麻雀仲間の一人がフリー麻雀のお店を見付けた事から、私の人生が大きく変わり始めた。

その頃、私が暮らしていた富山ではフリーの麻雀店は珍しく、そのお店は現B1リーグに所属する松原プロの経営するお店で、富山ではまさに先駆けだった。

麻雀といえば仲間内で打つくらいであったのだが、そのお店を発見してからというもの、仕事が終わっては遊びに行き、休みの日もよく顔を出すようになっていた。

どんどんとのめり込んで行くうちに、もっともっと強くなりたいと思う気持ちが膨らんで行った私は、麻雀荘にメンバー(人数が4人揃わない時に代わりに入るスタッフ)という仕事があるのを知った。

都会への憧れもあったのだろう。
「東京に行き麻雀プロを目指そう!」と決心するのにそれほど時間は掛からなかった。


夢いっぱいで大都会東京にやってきた私は、池袋のフリー麻雀店に勤めながら麻雀プロを目指した。

1年が経った頃、そのお店の専属プロをしていた現連盟副会長である伊藤優孝プロの勧めで、プロテストを受験することになった。
半年間の研修を経て、1998年春、晴れて日本プロ麻雀連盟14期生C汽蝓璽綾蠡亜嵋秧プロ・山井弘」が誕生した。

しかし、2年間のメンバー生活は思った以上に厳しく、東京という大都会で1人暮らして行くには困難を極めていた。

志半ばで一旦東京を離れる事を余儀なくされた私は、富山からプロリーグに参加する事で、その夢を繋いだ。

富山に戻ると、松原プロのお店が2店舗に増えており、私はそこでメンバーとして勤めさせて貰う事になった。

いつもプロリーグに楽しそうに参加する私を見て、松原プロを始め富山出身の連盟員がどんどん増えていった。

毎月1人で富山と東京を往復するのは大変だったが、その人達の道標になれたかと思うと、続けてきた事に意味を見出す事が出来たと思える。


そしてその頃、私は運良くA競蝓璽阿泙脳叉蕕靴討り、ここで現A汽蝓璽綾蠡阿瞭8粁換哀廛蹐汎韻献蝓璽阿農錣事になる。
Aリーグは1年間を通して戦うため、同じ人と年間2回対戦するわけだが、私はその藤原プロと当たった節はすべてマイナスして降級。
そんな私を踏み台にして、藤原プロは連盟最高峰A汽蝓璽阿悗半困辰胴圓辰拭

たったの1年間で降級という苦汁を味わった私は、自分の弱さを改めて痛感させられ、このままではA気匹海蹐A兇北瓩譴燭箸靴討睨瑤垢阿帽澣蕕垢襪里任呂覆いと苦悩する日々を送っていた。


そんな時、今はもう引退されているが、長くトップリーグで戦ってきた方のある言葉を思い出していた。

「リーグ戦の前半の戦い方は、まず降級しないポジションを確保する事。そうして後半戦は自分が絶対落ちない場所で昇級争いをするんだよ。」

この言葉を思い出した私は、しばらくして一新するのであった。


そうして4年の月日が流れ、池袋の新店舗で勤務するべく私は、再び東京へと戻る事になった。

東京に戻った私は、お店を切り盛りする日々を過ごしながら、あの言葉を考えていた。

「降級しないポジションを確保する」

そのために、まずは守備力を付けようと考えた。

ちょうどその頃、A気愍困蟲佑瓩親8競廛蹐暴毅臆鷸笋勤めるお店へ来てもらうようになっていた。
今自分に足りない守備力を学ぶのに、藤原プロの麻雀は良いお手本となった。

それからというもの、お店で教えてもらうだけには留まらず、藤原プロが参加する研究会や飲み会にも参加させてもらい、守備力以外にも多くの事を学ばせてもらった。

そのお陰で私は、1年でA兇防帰する事ができ、それからもまず先に降級しないポジションを確保して昇級を狙うという戦い方を続けた。

そうして、ようやく4期目にしてチャンスが訪れた。

その年のプロリーグも佳境に入り、残すところ後3節となったところで、私は首位の明石プロとほぼ並びで2位の105.9Pと、昇級が狙える位置に付けていた。(16人中昇級は2名、降級は4名)


しかし、この時ここから降級するなどとは、私は思いもしなかった・・・

8節目で▲39.6Pと昇級争いから転げ落ちると、9節目ではさらに▲60.9Pと一気に貯金を使い果たした。

それでもまだプラスではあったものの、今でも忘れはしないその年の最終節で、もはや下を意識せざるを得なくなった私は、一転して降級するのが恐ろしくて、それまで通りの麻雀が打てなくなっていた。
自分の精神力の弱さを露呈してしまい、やはり▲48.9Pとその節も沈み、3節連続で大きなマイナス、A兇任歪舛靴ぅ函璽織襤46.3Pの13位で降級となった。

ちなみに12位は▲40.3Pで現A気寮佚魯廛蹐残留、そしてその時昇級したのが、現鳳凰位の望月プロであった。


降級が決まってガックリと肩を落としている私に藤原プロが淋しそうに、

「しょうがないよ。」

と、そう一言だけ言った。

その意味がこのポイントで降級した事なのか私の弱さに対してなのか、この時は頭が真っ白となっていて良くわからなかった。


少し時間が経って、私はあの時の藤原プロの言葉を考えた。

もうどんなに足掻いても、降級は目の前の結果としてあり、受け入れたくは無い現実だが、もうどうする事もできない。

確かにしょうがない。

プロは結果が第一である。
負けてからから落ち込んだり後悔しても仕方がないのである。
そう考えたら私は少し気持が楽になった。


そうして私は再びB気悗藩遒舛襪里世、藤原プロの一言で、負けてもすぐに気持ちを切り替える事が出来るようになると、連続でマイナスする事が減った。

そして精神的にも逞しく成長したのか、昨年發王戦ベスト8、十段戦ベスト8、王位戦6位、チャンピオンズリーグベスト8。
今年に入ってはプロリーグA蕎叉蕁≒げ戦準優勝、チャンピオンズリーグ4位と満足とは言えないものの、そこそこではあるが結果が出せるようになった。


しかし、勝ち切るためにはまだまだ何かが足りない。

「昇級争いをするための攻撃力」

これが次の課題になると感じた。

こうして私は、今A競蝓璽阿芭燭を削りながら連盟最高峰A汽蝓璽阿鯡椹悗靴討い襦





私は、誰もがA兇泙任蝋圓韻襪隼廚辰討い襦
しかし、それを維持するためには優れた技術力が必要である事もたしかである。

そして、A気帽圓ためには、それに加えて強い精神力が必要になってくると思う。
その2つが兼ね備わって、初めてA気農錣┐襪里世蹐Α

さらに、鳳凰位を掴むためには、そのすべてを兼ね備え、なおかつ運という目に見えない力のようなものが必要になるのではないかと思う。

私が連盟に入った当初は夢だと思っていた最高峰A汽蝓璽阿癲△△覆ち夢でもなく、もう少しで手の届く所まで来た。
友達が麻雀店を見つけたあの時から、夢を膨らませた私が東京に出てきて、早いもので10数年が経った。

幾度となく、もう牌をさわる事をやめようと思った。
辛いし、自分には才能が無いと思った事も何度もあった。

そしてなにより淋しかったのが、何人もの才能豊かな若者達が夢半ばにしてこの世界から去っていった事だ。


しかし私には、どうしても若き日のあの強くなりたいという気持ちを忘れる事が出来ない。


だから私は、これからも「降級しないポジションを確保する」という戦い方を貫き、自分に足りない何かを探しながら、牌を置く事なく戦い続けるであろう。


「継続は力なり」


私の一番好きな言葉である。



では次回ですが、男性が三人続いたので、そろそろ女流の方に。
というわけで、宮内プロ、よろしくお願いします。

 




文責:山井 弘

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