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プロ雀士コラム

決断の瞬間(とき)

執筆:荒 正義

 

瀬戸熊直樹はプロ連盟に入り、2年でA2に駆け上がりました。
当時は今ほど人数が多くなく、半分弱の200名位のものか。現在は地方を含め連盟員は600名に及びます。
それでも2年でAリーグに入るのは、実力の証明といえるでしょう。

昇降級はB1までは半年単位ですが、A2からは1年単位となります。
この時、彼が逃げ道を絶ち、麻雀の道に入った覚悟を聞いたのです。
おそらく、この話は伊藤優孝さんから聞いたと思います。

保険をかけずにこの道一本に絞る、なかなかできる決断ではありません。
普通なら二足のわらじを履き、プロの道で食べて行ける目途ができてから麻雀の道一本に絞る。
それが賢明で、普通の選択の方法でしょう。注目したのはそれからです。

もちろん、そのことを瀬戸熊は知る由もなくボクとの会話さえもありませんでした。
ボクは何も、気取っていたわけではありません。ボクは田舎者で、シャイなだけなのです。

ボクは北海道留辺蘂町(今は北見市留辺蘂町)の田舎町の出身です。道東の山に囲まれた小さな町で、留辺蘂は(るべしべ)と読みます。
1970年19歳の時に上京し、フランス料理のレストランの厨房に入ります。コック就業です。
それが目的で上京したわけではありません。志を高く持とうと決めていた割に、どの道に進むか手探りの状態でした。

仕事に就かずブラブラしていると、先輩にその店の職場を薦められたのです。
高校の2年先輩には、洋食のコックが多かったからです。
この時期は、東京オリンピックから大阪万博と続き、洋食の店が全国的に増えた時期でもありました。

決めた理由は、取りあえずレストランならば食うには困らん、と思っただけのことです。
しかし、3か月後、人手不足でボクがホールのほうに駆り出されてしまいました。

今度はウエイター修業です。この時代は、日本は激動の時でした。
1年前の高校の時は、三島由紀夫が割腹自殺を図り世間に大きな衝撃を与えました。
ボクも意味わからずとも三島の本の愛読者だったため、少なからずうろたえました。

学生運動も激しく大学は休校に追い込まれます。
オイルショック・浅間山荘・シージャック。よど号ハイジャック事件が起きたのもこの頃です。


ウエイターは能力の世界です。仕事ができるかできないかで、給料が決まります。
ボクは赤坂のフレンチの高級店で仕事を覚えたので、賃金は通常の3割増しでした。
銀座の店ではそのビルのオーナーが囲碁をたしなみ、週に1、2度その相手をするだけで謝礼を頂きました。
なんとそれが給料分に匹敵したのです。そのレストランは、オーナーの直営だったのです。

ボクは小学2年の時、麻雀と囲碁を父から教わっていました。
碁は高校2年の時、北海道代表にもなることができましたから自信があります。
が、しかし翌年に竹書房から「近代麻雀が」創刊されたのです。

「近代麻雀」は今の劇画誌ではなく、麻雀専門誌(今は廃刊)の方です。その編集後記にプロ募集とあったのです。
この時、ピーンと来ました。(ボクの目指したものがここにある!)と思ったのです。

ボクがこの世で一番好きだったのが、実は麻雀だったのです。
これと一生過ごせるなら無上の喜びです。すぐに決断しました。

会社は、体調を崩したことを理由に辞めました。
オーナーには、恩を仇で返す形となったため、今でも心が痛みます。

若さには安全な2本のレールの上を走るより、熱き志と希望の方が勝る時があると思います。
(この稼ぎを捨てたのだ。ただのプロでは終れんぞ!)と、心に誓ったのです。
これがボクの23歳の時でした。

どうです、似ていると思いませんか。瀬戸熊とボクの麻雀にかける腹のくくり方が、です。
時代と背景の差こそあれ、同じ一線上にあるとボクは感じたのです。だからボクは彼に注目し、ずっと下の弟のように見ていたのです。

プロリーグA2では16名で半荘40回、1年間の戦いとなります。ここでは上位2名だけが黄金の椅子である、A1に進むことができます。
しかし、A2は強者、魔物が潜む激戦地区でもあります。そう易々と勝たせてなどくれません。
彼らだって、A1の椅子に座ることを夢見て長年頑張ってきているからです。

新参者など、自分がのし上がるための踏み台としか思っていないのが普通です。
彼も4年間、ここで足踏みします。連盟はそれだけ人材が豊富で、層が厚いといえます。

そして5年目の最終節、彼は得点表を爽やかな風に乗って提出に来ました。
その雰囲気で念願の夢が叶ったのだと知りました。

「おめでとう!」
「ありがとうございます!」

彼と話した会話は8年間で、たったこれだけでした。
でもそこには、同じ夢と情熱を持った匂いが確かにあったのです。

A1では12名の戦いとなります。
その内、上位3名が決定戦に駒を進め前期鳳凰との戦いとなります。
瀬戸熊はA1に上がったその年に挑戦権を得ますが、敗れます。そして4年後、再度挑戦権を得ます。この年は見事、優勝。

この間、彼が麻雀の道を志してから12年の歳月が流れています。12年は長い。
(石の上にも3年…)と云う父上の言葉がなかったら、修業の辛さと重みで続けられなかったのかも知れません。
翌年は、挑戦者を退け2連覇を果たし、2番目の星である「十段」戦も手中に収めます。
これで彼はプロの地位を不動のものとし、瀬戸熊直樹の名を麻雀史に刻んだのです。

彼は今、41才で体力と気力も充実した打ち盛りの年頃です。人生運の後押しもある。
それに比べ、ボクが彼に勝るものは経験値だけ。経験値は技であり、引出しの数と捉えても結構です。
本当にこれだけで戦えるのか、という不安はありました。
予選は相手が変わる、自分との戦いです。しかし決定戦は、相手が固定されているので対相手で人との戦いとなります。

そこで、最終日に戦う相手をイメージしました。
そこには、何度やっても瀬戸熊、彼の顔しか湧いて来なかったのです。

望月は、打撃の高さには定評がありますから油断はできません。
右田には若さと勢いがあるので侮れません。それは十分わかっています。
しかしボクには、出したイメージを信じるしか戦いの術がないのです。

若い時ならいざ知らす、あっちもこっちもマークすることなど、もう年のボクには荷が重すぎるはず。
第一疲れます。疲れは思考の妨げとなる。

なので、マークは瀬戸熊1本に絞ることになったのです。

 






執筆:荒 正義

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